天之城ーーチベット

お会いできてうれしいです。--認識你很高興(レンシニ ヘンガオシン)

===チベット自治区===
チベット
東経77-105度、北緯27-40度付近、南はヒマラヤ山脈、北は崑崙山脈祁連山脈
東は横断山脈などに囲まれ、インド亜大陸がアジア大陸に衝突して隆起することによって生成されたチベット高原上に位置する地域。
高原の自然環境に適応した独特の魚類、哺乳類が分布し、また高原内に多数分布する塩湖は、渡り鳥の中継地となっている。
乾燥した気候で、ヒマラヤの南斜面、四川盆地の隣接地域などを除き山の斜面に樹木は乏しいが、
河川に沿った水の豊かな平野部では大麦を主とした農耕が行われ、その背後に広がる草原地帯において牧畜が営まれている。


《拉薩》(ラサ)
チベット語で「神の地」を意味するという。標高3650メートル。
チベットを東から西へ流れる大河・ヤルツァンボ河の支流であるキチュ川の北岸にある。
チベット自治区の政治経済の中心であると同時に、チベット仏教という祈りの中心でもある。
観音菩薩の化身であるダライ・ラマの居住の地であったポタラ宮、巡礼の姿が絶えることない大昭寺。
そのほか、ガンデン寺、デプン寺、セラ寺など、まさに「神の地」と呼ぶにふさわしい厳粛な祈りに満ちた街である。
ラサは、同時に、「太陽の都」とも呼ばれる。標高3658メートル。強い日差しが照りつける。
街をゆくチベット人の頬は紫色に焼けている。見上げる空はどこまでもコバルトブルー。そういう意味でも別天地である。
成都から航空便で入るのが一般的であるが、普通の日本人は多かれ少なかれ、高山反応があるはずである。
健康管理には十分な配慮が必要である。

《清真寺》(せいしんじ)
パルコンから東へ入る。清真料理屋が並ぶムスリムの街があり、石塀に囲まれたイスラム寺院が見えてくる。
ラサには、チベット全土のみならず中国や蒙古から金や銀や宝石など大量の布施が集まったきていた。
それを目当てに多くのイスラムの商人がラサとインドやネパールとの間を往復していた。
彼らのための祈りの場が清真寺であった。

《布達拉宮》<ポタラ宮>  
ラサの町の西の端に位置するマルポ・リ(紅い丘)にある宮殿式建築群。
チベット族の古建築の精華と言っていいだろう。「ポタラ」とは、「観音菩薩が住まう地」の意だという。
観音菩薩とは、その化身とされるダライ・ラマを意味している。
十三階建て、主楼の高さは117メートル。総面積は十三万平方メートル。
白宮と紅宮に分かれる。ダライ・ラマは宗教と政治双方の最高権力者であったわけだが、政治部門は白宮で、宗教部門は紅宮で執り行っていた。
白宮は建物の下層と両側に広がり、紅宮は、白宮に支えられるように、中央部分の八階以上の高層を占めている。
白宮は1645年、ダライ・ラマ五世によって着工。
完成後にダライ・ラマはデプン寺から移り住み、それ以来ずっと、ポタラ宮チベットの宗教と政治の中心であり続けた。
紅宮の完成は1699年。摂政サンゲギャンツォの時代である。
観光は白宮から始まる。白宮七階はダライ・ラマの住居で、現在インドに亡命中のダライ・ラマ十四世の居住していた部屋もある。
紅宮には歴代のダライ・ラマのミイラを納めた霊廟が置かれている。なかでも目をひくのは五世の霊廟。霊塔の高さは十四メートル。3700キログラムの黄金と一万五千個の宝石が使われている。
名高い「カーラチャクラ(時輪)立体曼荼羅」があるのは紅宮の三階。


お会いできてうれしいです。--認識你很高興(レンシニ ヘンガオシン)

===チベット自治区===
チベットチベット文字:བོད་; ワイリー方式:Bod)
東経77-105度、北緯27-40度付近、南はヒマラヤ山脈、北は崑崙山脈祁連山脈
東は横断山脈などに囲まれ、インド亜大陸がアジア大陸に衝突して隆起することによって生成されたチベット高原上に位置する地域。
高原の自然環境に適応した独特の魚類、哺乳類が分布し、また高原内に多数分布する塩湖は、渡り鳥の中継地となっている。
乾燥した気候で、ヒマラヤの南斜面、四川盆地の隣接地域などを除き山の斜面に樹木は乏しいが、
河川に沿った水の豊かな平野部では大麦を主とした農耕が行われ、その背後に広がる草原地帯において牧畜が営まれている。


《拉薩》(ラサ)
チベット語で「神の地」を意味するという。標高3650メートル。
チベットを東から西へ流れる大河・ヤルツァンボ河の支流であるキチュ川の北岸にある。
チベット自治区の政治経済の中心であると同時に、チベット仏教という祈りの中心でもある。
観音菩薩の化身であるダライ・ラマの居住の地であったポタラ宮、巡礼の姿が絶えることない大昭寺。
そのほか、ガンデン寺、デプン寺、セラ寺など、まさに「神の地」と呼ぶにふさわしい厳粛な祈りに満ちた街である。
ラサは、同時に、「太陽の都」とも呼ばれる。標高3658メートル。強い日差しが照りつける。
街をゆくチベット人の頬は紫色に焼けている。見上げる空はどこまでもコバルトブルー。そういう意味でも別天地である。
成都から航空便で入るのが一般的であるが、普通の日本人は多かれ少なかれ、高山反応があるはずである。
健康管理には十分な配慮が必要である。

《清真寺》(せいしんじ)
パルコンから東へ入る。清真料理屋が並ぶムスリムの街があり、石塀に囲まれたイスラム寺院が見えてくる。
ラサには、チベット全土のみならず中国や蒙古から金や銀や宝石など大量の布施が集まったきていた。
それを目当てに多くのイスラムの商人がラサとインドやネパールとの間を往復していた。
彼らのための祈りの場が清真寺であった。

《布達拉宮》<ポタラ宮>  
ラサの町の西の端に位置するマルポ・リ(紅い丘)にある宮殿式建築群。
チベット族の古建築の精華と言っていいだろう。「ポタラ」とは、「観音菩薩が住まう地」の意だという。
観音菩薩とは、その化身とされるダライ・ラマを意味している。
十三階建て、主楼の高さは117メートル。総面積は十三万平方メートル。
白宮と紅宮に分かれる。ダライ・ラマは宗教と政治双方の最高権力者であったわけだが、政治部門は白宮で、宗教部門は紅宮で執り行っていた。
白宮は建物の下層と両側に広がり、紅宮は、白宮に支えられるように、中央部分の八階以上の高層を占めている。
白宮は1645年、ダライ・ラマ五世によって着工。
完成後にダライ・ラマはデプン寺から移り住み、それ以来ずっと、ポタラ宮チベットの宗教と政治の中心であり続けた。
紅宮の完成は1699年。摂政サンゲギャンツォの時代である。
観光は白宮から始まる。白宮七階はダライ・ラマの住居で、現在インドに亡命中のダライ・ラマ十四世の居住していた部屋もある。
紅宮には歴代のダライ・ラマのミイラを納めた霊廟が置かれている。なかでも目をひくのは五世の霊廟。霊塔の高さは十四メートル。3700キログラムの黄金と一万五千個の宝石が使われている。
名高い「カーラチャクラ(時輪)立体曼荼羅」があるのは紅宮の三階。