中国の観光名所ーー済南

おめでとうございます−−−恭喜(ゴンシ)
人のめでたいことがあれば、「恭喜」を二回か二回以上言うことです。

昨日の「毎日中国語」で私の故郷「青島」を紹介させていただきました。
今日は、山東省の省都済南の観光名所を紹介させていただきたいと思います。

 《済南市》(ジナン)
 山東省の省都黄河下流域、四千年前に栄えた龍山文化の発祥地のひとつ。
 春秋戦国時代に斉国の都であった。漢代に済水の南に位置することから済南と呼ばれるようになった。
 済水はいまは大清河と名を変えたが、黄河の氾濫などで川筋は時代により何度も変遷してきている。
 古来より水の都として知られ、町のあちこちに泉が湧く。済南72泉などという。

山東省博物館>(さんとうしょうはくぶっかん)
 市の南、千仏山の麓にある。1955年に新中国初の省クラスの博物館として正式に設立。
 翌56年に地志的な基本陳列を完成し開館。8000点余りの自然科学関係の標本と13万点余りの革命・歴史関係の文物を収蔵する。
 歴史の古い山東省だけに、七千万年前の山東恐竜の化石、四十万年まえの猿人の化石、四千年前の龍山文化の陶器、春秋戦国時代の「孫子」「管子」「墨子」などの古籍など多彩。

<趵突泉>(しゃくとつせん)
 済南市の西門橋の南方0.5kmにある。
 済南は水に恵まれ、「七十二泉」と総称されるほどの良質な泉があるが、趵突泉はその第一泉とされる。
 古くは瀑流・檻泉ともいわれていた。趵突泉という名は宋代からのもの。跳躍奔突の意である。
 湧き出る水の量は毎秒1600リットルと言われる。量のみならず、水質は芳醇で、お茶をいれるのに適しており、宋代の曾鞏(1019〜83)に「潤沢の春茶 味更に真」の句がある。
 伝聞では、清の時代、乾隆皇帝が江南を巡幸するときに、北京から北京の玉泉水を持ち運んできたが、済南でこの泉の水を飲んだ後直ちに水を換えさせた、という。
 1956年、付近の名泉・旧跡を含み込む形で突泉公園とされた。豊かな水、それを囲むように建てられている古代の建築群と柳。味わいの深い公園である。

<李清照紀念堂>(りせいしょうきねんどう)
 趵突泉公園の漱玉泉の北岸にある。
 李清照(1084〜1151?)は易安居士と号し、済南出身の女流詞人。
 詩集に「漱玉詞」がある。詩文と書画に秀で、夫の超明誠(1081〜1129)とともに『金石録』をも編む。
 特に詞に大きな業績を残し、婉約派の祖。この辺りに暮らしていたという。
 1956年の建造で、1980年に改修。宋代の建築様式で造られている。
 李清照の画像、生前の事績、さまざまな版本の著作を展示。

<大明湖>(たいめいこ)
 済南市の旧城の北部にある。
 珍珠泉・芙蓉泉・王府池など多数の泉水が流入し、湖面は46.5ha。一年を通じて水量は豊か。
 北魏道元(469〜527)の『水経注』に、城の西南に?水あり、その「北、大明湖と為す」とあるのが、初出で、宋代には四望湖といった。
 のちに徐々に土砂が堆積して半分が市街となり、金代から現在の城内湖を大明湖というようになった。
 湖中にはハスが多く、夏には花が美しい。また、湖畔には亭台や楼閣が多く、蓮や柳とあいまって華麗な景色をなす。杜甫李白も訪れている。遊覧船での周遊も可能。
 趵突泉と千仏山と大明湖をあわせて「済南三大名勝」といわれる。

<千仏山>(せんぶつざん)
 古くは名歴山といい、済南市の市街南方2.5キロにある。
 この地で帝舜(伝説上の皇帝)が農耕に従っていたと伝え、舜耕山ともいう。
 隋の開皇年間(581〜600)に全山の岩壁に仏像を彫ったので、千仏山と呼ばれるようになった。
 海抜285mで、緑が多く、東西にそれぞれ300段前後の登山道があり、渓谷沿いに曲折し、中腹から北を望むと、済南北方の山並みを見渡すことができる。
 絶壁の下に唐の貞観年間(627〜649)創建の興国寺があり、境内の千仏崖に隋の開皇7年(587)から唐の貞観年間にかけて彫った多数の仏像がある。
 崖下の極楽・竜泉・黔婁などの洞穴の壁にも多数の仏像が彫られ、近年その大半を修復。
 伽藍背後の山上の一覧亭に登って遠望すると、大明湖や黄河を一望することができる。いまは山頂へのリフトも通じている。

<大仏頭>(だいぶっとう)
 済南市街の北方3.5km、歴城県の仏慧山の北斜面にある。
 岩に高さ7.8m、幅5.35mの仏頭が彫刻されており、これを一般に大仏頭と呼ぶ。
 製作年代は、北宋の景祐年間(1035)説と唐の天宝年間(742〜756)説があり、まだ確定していない。

<黄石崖>(こうせきがい)
 済南市の東南部、螺絲頂山主峰の西側にある。岩肌が黄色いので黄石崖という。
 北魏の正光4年(523)から東魏興和2年(540)にかけて彫られ、山沿いに岩壁と天然の洞窟の中に分布し、大小あわせて19の仏龕と85体の仏陀と菩薩のレリーフがある。
 保存状態は良好で、芸術的価値も高いとされている。

<千仏崖造像>(せんぶつがいぞうぞう)
 歴城県柳埠村、白虎山の絶壁にある。南北65mにわたって大小あわせて100余りの石窟と211体の仏像がある。
 大半は唐代初期のものである。造像の題記はあわせて43条あり、そのうち年代を記すものは10条ある。
 唐の太宗の第三女の南平公主が、顕慶2年(657)に父のためにつくったといわれるものは、千仏崖において最も優美な造像のひとつである。

<四門塔>(しもんとう)
 歴城県柳埠村の青竜山の麓、神通寺の遺構の東側にある。建立年代は、隋の大業7年(611)。
 塔身は大きな青石を積み上げた単層方形で、高さ15.04m、各辺とも7.4m。四面に半円形のアーチ門が1つずつあるので、四門塔と俗称されてきた。
 この形式の石塔としては、中国の現存最古。四面に後人の移設した石仏が1つずつある。

<九頂塔>(きゅうちょうとう)
 歴城県柳埠村、霊鷲山の九塔寺の遺構にある。唐代の建立。八角単層で高さ13.3m。
 塔頂に小塔が9つある。南面に仏室があり、木彫の仏陀をひとつ、僧侶をふたつ安置。
 周囲の壁に壁画が残存。


今度の観光名所の写真全部揃いました!大変だったです><興味のある方がぜひ見てくださいね〜〜