中国カンフー--太極拳

太極拳ーーーー太極(タイジ)
カンフーーーーー功夫(ゴンフ)

「中国カンフー」とは、中華民族の古代から現代に到るまでの武術や武芸、その修練、そしてさまざまな健康法の総称をいい、また中国の拳法は、著名なものだけでも100種を超えるといわれる。


●カンフー(功夫)・太極拳は、一般のスポーツとは異なった特殊性を持っている。

一般のスポーツの場合、たとえば陸上・球技・重量挙げ・ボクシングなどの選手は、30歳を過ぎると体力の維持が難しくなるため、現役から引退しなければならない。
しかし、カンフー・太極拳の場合はそういうことはない。カンフーは外功と内功とに分けられる。
「外は筋骨皮を練り、内は精気神を練る」。これらは、強靭な体格と敏捷な動きを訓練するだけでなく、体の中から鍛練することによって、心身を整え、五臓六腑を強くし、気脈の流れをスムーズにするものである。
その結果、動から静へ、剛から柔へと、年を重ねるほどにカンフー・太極拳の力が増していき、健康の維と長寿に大きな効果をあげることができるのであると、
 しかし最も重要なことは、何事もそうだが、やり始めたら堅持する事が肝要であると・・・

●起源:

武術史研究家唐豪以来の通説は、河南省温県陳家溝という村の陳一族に家伝として伝えられていた武術が起源であるとする。
その創始者については諸説あり、明代末・清代初に当時武人として活躍した陳王廷がつくったとも言われる。
しかし、陳家溝に残る史料からは他にさまざまな武術が流入していた可能性がうかがえ、むしろそうした研鑽の蓄積としてできあがったと考えるのが妥当であろう。
陳氏の武術は一族を守る武術として発展し、それ故に門外不出とされていたが、清代末に河北省永年県広府鎮の楊露禅がこの拳法を会得して、北平(北京)に出向き広めた。
拳理(武術理論)として王宗岳の『太極拳論』が重視されたため、そこから「太極拳」という名称が用いられるようになったとの説がある。

●種類

武術として継承されてきた伝統的な太極拳は、後述の制定拳に対して「伝統拳」と呼ばれる。
伝統拳はその伝承系統や各伝人によって内容にさまざまな違いがあるが、「伝統五派」という五つの系統に分類するのが普通である。
伝統五派は、それぞれ創始者あるいは代表的な継承者の姓をとって、陳、楊、呉、武、孫の名を冠する。
かつては「陳氏太極拳」「楊家太極拳」のような名称が多く用いられていたが、
第2次世界大戦後は中国をはじめとして「陳式太極拳」のように「〜式」と呼称するのが一般的である(中華民国では現在も「〜氏」と呼称するのが一般的である)。
近年、従来は陳式の一派(趙堡架式)とされていたものが、和式太極拳として認定された。
各流派に分かれているが、共通の基本功として「十三勢」があり、基本功が習得された後、「套路」、「推手」、「散手」と進むのが一般的である。
また、十三勢の中に流派ごとにさらに細かい「太極拳の技法」がある。

また、伝統拳はそれぞれの門派において剣、刀、杆、槍などの器械(武器)を用いた套路を伝承しており、門派毎に伝承内容は異なる。
中国武術において器械は手の延長と見なされ、徒手の応用であると同時に、一種の練功法として行われている。
太極拳においても、太極剣、太極刀など(器械套路)と太極拳徒手套路)は同一原理に基づくものであり、器械を練習することによって太極拳の理解がより深まり、武功の成長が促されると考えられている。
例えば、剣尖まで勁を伝えるように剣を練習をすることで、全身を協調させて運勁し、発勁するための有効な練習となる。
また、剣には刃がついているため、徒手より動作に意識が集中しやすく、気功的あるいは武術的鍛錬として高い効果が期待できる。

▲陳式太極拳
全ての太極拳の源流であり、(このことは中国民間に広く否定され、批判されている。)河南省陳家溝の陳一族を中心に伝承されてきた。
動作は剛柔相済、快慢兼備を特徴とし、太極拳に特徴的な柔軟さや緩やかな動きだけではなく、震脚(強く脚を踏みならす動作)を行い、
発勁方法は明勁(素早く激しい発勁の仕方)を重視し、纏絲勁によって全身の勁を統一的に運用する。
一般的な太極拳のイメージからすると、特に二路(砲捶)は非常に剛的な印象をもたれ易い風格であるが、高齢の達人の拳風は内勁重視のため、
むしろ楊式や和式を連想させる緩やかなものである。
また陳氏の太極拳には大別すると平円重視の大架式と立円重視の小架式の2つのスタイルがあり、大架式からは新架式が派生し、
小架式からは趙堡架式が派生した。20世紀に入り、陳発科が北平(北京)で大架系統を教授してから一般に広まったといわれる。

楊式太極拳
陳家溝で太極拳を学んだ楊露禅が北平(北京)に出向き伝えた。露禅は実戦高手として楊無敵と讃えられ、その評判故に請われて多くの者に教授した。
その拳は非常に柔らかな動きで、「綿拳」「化拳」と称されたと伝えられる。その後も露禅の子、孫と三代にわたって楊式は改変され、
現在普及しているのは露禅の孫楊澄甫が伝えた大架式の套路である。
楊式にも動作に緩急を伴う小架式及び二路砲捶が存在するが、最も普及した大架式の動作はのびのびとして柔らかく、
発勁法は緩やかな暗勁(激しい打撃動作を行わない発勁の仕方)であるため、最も広く行われている。
楊式太極拳の理論書としては、楊班侯伝の「太極拳九訣」や楊澄甫伝の「太極拳老譜三十二解」がある。
後述の制定拳は楊式をベースにして構成されている。

呉式太極拳
楊露禅の子楊班侯に師事した呉全佑(満州族出身)とその子呉鑑泉によって確立した。
呉鑑泉が上海精武体育会で教授したため、香港を中心として中国国内はもとより、とりわけ華僑の間に普及した。動作は緊密でまとまっており(小架式)、楊式初期の風格を残していると言われる。
満州族のシュアイジャオ(投げ技を中心とする武術)に由来するといわれる前傾姿勢が特徴的である。伝承系統によって歩距や架式の高さに比較的違いが大きい。

武式太極拳
楊露禅の支援者武禹襄が露禅に学んだ後、河南趙堡鎮の陳清萍に学び、さらに工夫を加えて成立した。武禹襄は太極拳の理論化に貢献した。
近代の「太極拳」の名は、武禹襄の兄秋瀛が再発見した王宗岳の「太極拳譜」に由来するといわれる。武式は太極拳の精華と評され、厳密な身体の運用と実戦的側面を伝える門派である。
しかし、武禹襄が親族にしか伝拳せず、その後も近年まで保守的であったため、伝承者はきわめて少ない。著名な伝人郝為真の姓をとって「郝式」と呼ばれることもある。

孫式太極拳
高名な武術家孫禄堂が、郭雲深に学んだ形意拳の歩法、程廷華に学んだ八卦掌の身法、郝為真(武式)に学んだ太極拳の手法を統合して完成させた、孫家拳を代表する套路である。
開合によって動作を連関し、快速な活歩によって転換するため、一名「開合活歩太極拳」と称される。

● 分派

和式太極拳
従来陳氏の一派(趙堡架式)と見なされてきたが、近年、代表的伝統太極拳として認定された。
初代和兆元は陳清萍(陳式)に学んだが、発勁は暗勁が主で、独自の風格を備える。二路套路を持たない点も陳式と異なる。

他にも、主に陳清萍に学んだ李景炎が創始した忽雷架式は、綿密な段階的教授法と独特の発勁技術が、他派にない特徴として注目されている。

鄭子太極拳

楊式太極拳の第三代伝人の楊澄甫の弟子である鄭曼青が楊式太極拳を整理し三十七式にまとめたもの。
楊式からこの三十七式が認められなかったこと、さらに楊式よりもさらに柔らかくこじんまりとした動きであることなどから別式とされている。
套路(型)は37式、武器は剣(楊式太極剣)、推手、さらに台湾系の系譜ではこれに内功(気功)が加わるだけの最小主義の太極拳で簡易太極拳と言われることもある。
鄭曼青は五絶老人とも呼ばれ「詩、書、画、医、武」に優れ文人、医者としても名高く台湾に移住後、さらにニューヨークに移り、漢方医として活躍する傍らで太極拳を教えた。
中国人、欧米人の区別なく太極拳を伝授したため結果として欧米に最初に太極拳を広めることになり他の太極拳が欧米で教えられるようになるまでは欧米で太極拳といえば鄭曼青の三十七式であった。
鄭子太極拳とは「鄭先生の太極拳」といった意味だが、これは鄭自身が一派をなしたとは考えなかったことと、五絶老人に対する敬意としてこのように呼称される。


太極拳の健康効果は以前より知られていたが、必ずしも万人が習得することのできる平易なものではなかった。
中国政府は第2次世界大戦後、伝統拳の健康増進効果はそのままに、誰にでも学ぶことのできる新しい太極拳を意図し、国家体育運動委員会が著名な武術家に命じて套路を編纂、普及に努めた。
これを伝統拳に対して「制定拳」と呼ぶ。制定拳は楊式太極拳大架式をベースにして重複動作を避け、難度の高い動作を簡略化しつつ、太極拳のエッセンスをまとめたものである。
套路毎に動作の数が違うため、各套路は「二十四式」のように動作の数で呼ばれることが多い。

簡化太極拳(二十四式太極拳

簡化太極拳は最初の制定拳として1956年に発表された。
楊式太極拳の主要な二十四の動作から構成されており、そのため「二十四式太極拳」とも呼ばれる。
中国の学校では日本のラジオ体操と同じように生徒全員に教えられる。動作の覚えやすさと教えやすさに重点が置かれ、
健康面でも武術面でも本質を伝えにくいなど伝統的な太極拳家の間では不評であるが、外国でもジムなどでヨーガなどと一緒に教えられることが多く、
全世界で練習され、健康運動としての太極拳の普及に大きく貢献している。
日本の太極拳教室で健康のために教えているものはほとんどの場合、この簡化太極拳である。楊式を基礎としているので本格的な楊式の入門用の套路として教えられることもある。
普及に伴って集体(グループ)表演や競技会が盛んに催されるようになり、簡化太極拳は結果的に、表演武術としての側面を太極拳に持たせることになった。
太極拳とは健康運動、ひいては武術にあらずとの認識を広める一因としての批判が伝統拳の間に多い。

八十八式太極拳
二十四式太極拳に続いて、1957年に発表された。二十四式に適用した原理に基づいて楊式太極拳の動作を改めたもので、二十四式と同質性があり、二十四式の既習者には学びやすい套路である。
拳式の順序は伝統的な楊式太極拳大架式に準じているが、動作原理が違うことや、李玉琳伝の楊式太極拳に基づいていることにより、一般に行われている楊式太極拳と動作に少なからず差異がある。

四十八式太極拳
二十四式太極拳の上級套路として、1979年に発表された。二十四式、八十八式とは異なって、楊式太極拳をベースにしながらも、陳式、呉式、孫式の動作を取り入れた、初めての総合太極拳である。
二十四式より難度は高く、八十八式より表演時間は短く、動作が左右対称に整えられた総合套路であったため、一般に普及しただけでなく、競技会においても頻繁に行われる套路となった。

総合太極拳(四十二式太極拳
80年代後半、太極拳の国際大会が催されるようになると、競技会用の套路が要望されるようになった。
競技者自らが構成した「自選套路」では、優劣を判定することが難しいことが生じるからである。そこで陳氏、楊式、呉式、孫式の競賽套路、総合套路、遅れて武式の競賽套路が発表された。
日本では「競賽」という語に馴染みがないため、競賽套路は「規定套路」あるいは「競技套路」などと呼ばれるのが普通である。
こうして発表された総合套路が「総合太極拳」であり、動作の数から「四十二式太極拳」とも言われる。

総合太極拳は、四十八式と同様に楊式太極拳をベースにして、陳氏、呉式、孫式の動作を組み合わせて創られた套路である。
四十八式よりも各門派の特徴的動作を明確に演ずることが出来、内外の競技会種目として採用されている。見栄えのする套路なので、中国では一般にも人気が高い。
その一方で、競技性を念頭に置いて伝統拳の動作をつなぎ合わせたので、「連続性が悪くぎごちないところがある」「健康効果に比して身体への負担が大きい」などの批判もある。 

▲太極剣(三十二式太極剣、総合太極剣)
制定拳を行う者が器械入門として行えるよう、楊式太極剣をもとに編纂された套路が「三十二式太極剣」である。
さらに競技用套路として、陳式、楊式、呉式の動作を組み合わせた「四十二式太極剣」(総合太極剣)があり、総合太極拳と並んで競技会で盛んに行われている。